紛争死史観と災害死史観
大石久和さんが提唱する紛争死史観と災害死史観
大陸の国は多民族との争いでそれこそ民族が全滅させられるようなことがあった
特に遊牧民族の襲撃から守るため、街を城壁で囲むというのがどこでも行われていました
すなわち大勢の人が死ぬような悲劇は多民族との戦いである紛争で死ぬことが多かった
だから愛する人を殺した、大切な仲間を殺した、そういう相手を忘れず恨みそれに備えた
これが紛争死史観です
一方日本は同じ民族の人が多く、そのため戦国時代のような時代でも、民まで襲われることは少なかった
日本人にとって大勢の人が死ぬというのは紛争でなく、地震や水害、そのような災害によるものでした
災害による死はどうでしょう
例えば津波で愛する人が死んでも、大切な仲間が死んでも、またその海の恵で人々は生きていかないといけない
海を恨んで海を攻撃しても何にもならない
人を殺した海とまた一緒に生きて復興しないといけない
これが災害死史観です
これはウクライナ戦争が起きた直後、ウクライナに支援を送ろうという話が出たことでもわかります
日本人は戦争が起きて被害が出た
さあ、復興だ!
そういう感覚になります
戦争というものはまだまだ長くかかる
でも日本人にはその感覚が欠けている
大東亜戦争後、なぜアメリカを恨まないのかというのもこの災害死史観によるものでしょう
津波で死んだのだから海を恨んでも仕方ない
それと同じ感覚でアメリカを恨んでも仕方ないと自然と、そう考えてしまう
逆によく海外で地震などで死んだ人の映像で、いつまでもその震災を恨んでいる
これも紛争死史観があるから恨まないといけない
世界のスタンダードな考えと日本の考えが大きく違う
別に海外に何でも合わせろというわけではありません
しかし、大きく違うということを意識しないと、
日本は狼の群れに狙われている羊になりかねない