政治家になろう!

市議を目指す活動日記です

多様性

つばさの党二期生の山崎たかしです。

 

多様性っていろいろなところで使われていますよね。

私の住んでいる武蔵野市でも多文化共生・交流課という場所が存在しています。

 

本当に多文化が共生できるのでしょうか?

する意味が日本であるのでしょうか?

 

日本には日本独自の文化が根付いています。

宗教観一つとってもかなり特殊です。

たぶんその特殊さを日本人が気が付いていないくらい。

 

多様性は大事だと思います。

でもそれって国単位とか会社単位というミクロな視点での多様性でなく、

世界とかもっと大きいくくりで見るマクロな多様性が大事なのではないでしょうか。

 

例えばすべての会社で多様性が大事だと日本人と外国人の比率や男女、年齢、出身地、学歴、様々な多様性を持たせなさいとしたらどうなるでしょうか?

確かにその会社の中で見れば多様性はあるかもしれません。

しかし、会社を選ぼうとしたときに、全部同じの多様性などないすべて同じ会社ばかりの社会になってしまいます。

 

国だってそう日本のような文化の国もあれば中国のような文化の国もある。韓国、アメリカ、イギリス、フランス…

地域だってそうです。その地域ごとにまだ違う風習など残っていたりもします。

 

そういう多様な中から選択できることが大事なのではないでしょうか?

 

もともと世界的に普通であったマクロな多様性、

それを嫌ってミクロな多様性を押し付けようとしているのは何なのか?

 

私はバックに国際金融資本がいるのではないかと思っています。

陰謀説っぽくなってきた?

いやいや、国際金融資本は実際にあるものです。

 

なぜ国際金融資本がミクロな多様性を世界に押し付けたいのか。

それはどこの国でも商売するのに都合がいいからです。

 

日本のように言語も文化も風習も宗教観も特殊で、

それなのに経済規模は大きい。

実はイノベーション能力もある。

しかも賄賂なども通しにくい。

 

そんな国面倒ですよね。

嫌ですよね。

 

ならばミクロな多様性を押し込んで、

外国人を増やして、

日本人の伝統や文化、風習を無くしていけばいい。

そう考えてもおかしくないでしょう。

 

だからこそ、日本人は、日本の歴史、伝統、文化、風習、そういったものを自分たちで守っていかないといけないのだと思います。

 

その多様性、そこに今本当に必要なの?

考えてみることも必要だと思います。

 

 

 

野球で例えると

議員や行政の方が政治のプロなら、

私たち議員を目指している人はノンプロや大学や高校球児

そして選挙に行く人や普通の会話で政治の話ができる人はアマチュア政治家なのだと思います。

議員にならなくても(アマチュア)政治家になれます。

だからもっと政治に興味を持って選挙にも行って

みんなが政治家になろう!