外国人共生と多文化共生は違う 異文化交流と多文化共生は違う マクロとミクロ 個と全は違う
武蔵野市ではやたらと多文化共生が言われます
本当に武蔵野市に多文化共生が必要なのでしょうか
武蔵野市での多文化共生というミクロな多文化共生
その実態はそれぞれの文化が独立して存在するのではなく
互いの文化が混じり合い、日本の文化も他の文化もなくなり多文化交流という新しい文化が出来上がるだけです
外国人共生という個と多文化共生という全では違います
なぜ外国人共生でなく多文化共生なのか
なぜ多文化交流や多文化理解でなく多文化共生なのか
個と全、ミクロとマクロ、そこを同じように扱ってしまうのは間違っていないでしょうか?
多文化共生してどこでも同じような商売、生活ができるようになることを望んでいる人たちがいます
どこでも暮らしていける根無し草のエニウェア族
よりどこでも暮らしやすく、商売をしやすくするためには
それぞれの国や地域の独自性は邪魔でしかありません
どこに言っても言語や通貨などが違うだけで基本的な行動は同じようにできる
障壁はあるので誰でもできるわけではないがそこを乗り越えれば後はどこも変わりがない
そういう人たちの思惑が混じっていないでしょうか?
日本は独自の文化、風習を持っている
それではいけないのでしょうか?
郷に入れば郷に従え
外国の方も日本で生活しようと思えばある程度日本に合わせるのがなぜ行けないのでしょうか?
野球で例えると
議員や行政の方が政治のプロなら、
私たち議員を目指している人はノンプロや大学や高校球児
そして選挙に行く人や普通の会話で政治の話ができる人はアマチュア政治家なのだと思います。
議員にならなくても(アマチュア)政治家になれます。
だからもっと政治に興味を持って選挙にも行って
みんなが政治家になろう!