武蔵野市の子どもの権利に関する条例3 武蔵野市は子供を枠に当てはめようとしている?
毎日投稿させていただいています
それだけこの子どもの権利に関する条例は、昨年の駐輪場跡地売却問題、住民投票条例に匹敵する危険さを秘めているものだと私は考えているからです
そして今日書くことは武蔵野市の他の委員会の行動と合わせて考えると、とても恐ろしい考えを武蔵野市は持っているのではないかと邪推してしまうことです
こんなことが事実でないことを祈ります
しかし、そう考えることも出来る
なのでこどもを持つ家庭はぜひ注意してもらいたいのです
さて今日は武蔵野市は子供を枠に当てはめようとしている?
という題で話させてもらいます
令和3年 10 月 13 日にあった学校・家庭・地域の協働体制検討委員会の資料6
学校・家庭・地域の協働体制に関する庁内検討会議報告書【概要版】
の中には『育てたい子 ども像を共有する』という言葉が複数回出てきます
一方『第 2 章 保障すべき子どもの権利』の解説には『子どもには、「こういうふうに育ってほしい」とか「何々らしい」等、第三者の勝手な人間像を押しつけられない権利があります。』
(橙色のアンダーラインの箇所参考)
これは市そのものが子供の権利を蔑ろにしているのではないでしょうか?
市が条例を守る気がないのです
今、話題に上がっています駐輪場跡地売却後の動きで、購入した先が建てようとしているビルの駐輪場が「武蔵野市自転車等の適正利用及び放置防止に関する条例」の「駐輪場の付置義務」に違反した建築をしようとしているのに許可してしまうという事例と同じです
市が条例を守る気がない、という異常事態が続いているのです
こんな自体で条例を作る意味などありません
また市が子供を枠に当てはめようとする現状は全体主義へと進もうとしているように思えてなりません
まるで中華人民共和国の文化大革命時期の紅衛兵でも作ろうとしているかのようです
こんなある意味思想教育にも近い、地域や学校が「育てたい子ども像」というものを持ち、押し付けることは危険なことではないでしょうか?
そして昨日上げました「休む権利」
これと合わさるとどうなるでしょう?
学校や地域(市行政)が望む子ども像を押し付けた教育を行う
それに合わず自分を壊してしまうような子供は、自分を取り戻すために休む権利を使わせて排除していく
自分たちの思想に合わない子供は公教育を受けさせない
そういうことにもなりえます
まさに紅衛兵に仕立て上げたいのか?
そう感じてしまいます
流石にそこまでひどくなくても、この2つがセットになった場合、市行政と学校が組んで暴走した場合子供たちがひどい目に合います
そして「育てたい子ども像」をしが上げている時点で十分このおそれがあるんです
市が子供の権利を理解しないで、このような考えを持っている以上、子どもの権利に関する条例を勧めてはいけないんです
市がまず子供の権利を理解し尊重できるようになってからまた考えるべく話です
とても危険な可能性がある条例
本当にこんな条例が出来ていいのでしょうか?
皆さん、考えてみてください