武蔵野市の子供の権利に関する条例 市が望む子ども像に育てるため?そうならない子供は学校に来るな?
武蔵野市で「子どもの権利に関する条例」が進んでいます
たしかに子供の権利は大事です
しかし、武蔵野市で独自にこのような条例を作る意味はあるのか?
とても疑問に思います
武蔵野市独自の子供の問題があると聞いたことはありません
骨案にもここは武蔵野市独自のもの、または強調しているものがあるように思えません
それどころか、家族との繋がりに関して薄くなるように持っていこうとしているのではないか?と思えるところもあります
新聞などにも取り上げやれていましたが、「自分らしさを取り戻すために学校を休む権利」とあります
そもそも公立校に行って、自分を壊して勉強をしないといけない環境があるとしたら、そこが問題なんです
「自分を取り戻すために休む」のでなく「自分らしく教育を受ける」権利が必要なのではないでしょうか?
なぜ根本解決でなく、問題を起こしてその場しのぎの対応になる権利にするのか?
不思議です
実子連れ去り問題などとも関係する「両親に会う権利」なども抜けています
結局市に都合の良い権利だけ盛り込み、不都合な権利は入れない
そんな考えではないでしょうか?
そう思う根拠の一つに「学校・家庭・地域の協働体制検討委員会」で頻繁に育てたい子ども像という言葉が出てきます
http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kyoikubu/1033897.html
上記のHPの第一回委員会資料の中の学校・家庭・地域の協働体制に関する庁内検討会議報告書を見てみてください
自分らしく成長するのでなく、育てたい子ども像に育てる
それに当てはまらない子供は、自分わ取り戻すためと言う理由で学校に来なくて良い
そんな危険な思想を感じるのは私だけでしょうか?
積極的に条例を広めない、住民の意見を聞かないのもこのような理由があるからなのではないか?
ぜひ皆さん気をつけてください